こんにちは。
またまた記事を書くのに間があいてしまった奥谷です。
何かしらの心のブロック、
日々のあれこれ、
それらをいうのは言い訳に過ぎないのですが。
文章を書きたい気持ちはあるのですが、
何かが、人生全体に共通する何かが、
しこり、ブロックのような、
形になりそうでならないもの、よどみ、
それらが邪魔をしている、いや、
それらを隠れミノにして、のらりくらりしたいのだと思います。
行動がどうにもこうにも遅れがちなのは、
周りの基準で見ているということでもありますし、
自分のペースを見返すチャンスでもありますね。
自分ありきの人生です。
自分ありきの生命です。
自分の感覚をなきものにしていると、
本当の自分からしっぺ返しがやってきます。
自分、自分、自分というのも、見方によっては我が強くも見えますが、
自分を見、聞き、感じ、どうしたいのか、
本当の本当はどうしたいのか、
それらを認め、受け入れ、
最大の難関である許しも突破し、
自分を生きていきたいものです。
そうなるのに時間がかかるというのも思い込みでしょう。
一瞬で切り替わることもできるでしょう。
あっという間に人生イージーモードになることもできるでしょう。
何がそうさせているのか、
根っこの根っこまで探究するのはとてもエキサイティングで、
ときに苦しく、たまに喜びもあります。
それをやるために自分の環境設定ができあがっているようにも思います。
今や心の奥底にある思いに意識が向いて、
心の奥底に何かがあるというのを認識し始めてはいますが、
瞑想していなかったら、それらの存在を認識できていなかっただろうと思います。
聞いたことはあるけれども、無理でしょ、そんなの、みたいな感じだったと思います。
心の奥底を「探究する」「見ようとする」だけでは届かない領域がどうしてもあるようです。
もちろん、最初からわかる人も多くいることでしょう。
しかし、わたしには、自分が何を感じているか、
何を考えているか、それらを言葉にできない子供でした。
大人になっても全然できない人間で、これは病気なのだろうかと悩んだときもありました。
そんなときに超越瞑想とであい、自分が何者かわからなくても、それでも、
超越瞑想を続けていくうちに、心の奥底にある思いを感じ取られるようになってきました。
頭で考えたり、分析したり、自分の気持ちをなんとか言葉にしようとしたり、
それも大切なプロセスですが、それとは別の次元で、
ふっと静まったときにだけわいてくる感覚があります。
それは「こう思っているはずだ」とかではなく、
もっともっと奥にある、言葉になる前の、
それでいて確信的な、自分自身の思いのようなものです。
それに触れたとき、
無理に何かを変えようとしなくても、
自然と方向が見えてくることがあります。
超越瞑想を通して感じているのは、
そういう領域に無理なく触れる時間がある、ということです。
習うかどうかは別として、
そういう感覚が自分の中にもあるということ、
そしてそれは特別な人だけのものではないということ、
だれにでも心の内側に向かうことができるということを、
ぜひとも知ってもらえたらと思っています。
地位も名誉も、学歴も職歴も関係なく、
都会、田舎、住んでいる場所も関係なく、
年齢も、性別も、何もかも関係なく、
だれにでもできるものです。
自分の中にあるものに気づくことで、
計り知れない広がりのある人生にもなっていくことでしょう。

形なきものを形あるものに